そして迎えたこの日・・・2008年3月5日 |
さてさて・・・手術を受ける前日・・・・以外に落ち着いている自分がいた。
麻酔をかけてもらえば、痛みも感じないんだからなんて。。。甘い甘い!?考えが
私をリラックスさせた・・・(単純な私)
このように手術を受ける前夜は・・・全身のうぶ毛を剃らなければいけないそう・・
待機期間に隣のおばーちゃんが処置を受けているのを見てて知りました。。。
がしかし・・・・全身とは???そう下のほうもすべて!!!!
この病棟には看護婦は女性だけでなく、男性も沢山いました。
いくらなんでも、男の人に下のうぶ毛処理をしてもらうなんて恥ずかしくて・・・・・
前日の午後『是非、女性の方にお願いします!!』とお願いしました。
その看護婦さん『絶対とは約束できないけど、出来る限り女性が担当
するようにしますね。』と・・こんなことを聞いていたとはまだまだ余裕の私が窺がえます。
夜・・・看護婦さんが登場し・・無事終了、その後全身の消毒・・・ツメを切り、消毒液の入った
洗面器に足をつけてまた消毒・・・・・手のツメも同じように消毒!!そして最後は鼻の穴
この夜は、ぐっすり眠るために安定剤をくれました。
迎えた3月5日・・・・朝6時・・・・看護婦さんに起こされ、また消毒・・・・
生まれて初めての経験で、こんなに消毒しなきゃーいけないんだと感心したほど・・・・
このことを術後落ち着いて母に話したら・・・
『そらそうやん!!あんた!!盲腸の手術するのとは違うんやで~!!』と返された
私の順番は朝一番...ベットで寝ていると、旦那さんが来てくれた。
ここでもまた安定剤をもらっているので、ウトウトして話したことも良く覚えていない・・・・
医師曰く・・・・上手く行けば3-4時間で済みますと・・・
ゴロゴロとキャッシャーで運ばれ自動ドアが何度か開き手術室へ。。。
麻酔担当の医師が『少し痛いけど我慢してね・・・』チクッと痛みを感じた後、
目が開けて入れなくなり、数秒後・・・・私は深い深い眠りについていた。
11時間後、私は手術室から集中治療室へと移された・・・・
外で待っていた主人の気持ちを考えるとどれだけ心配しただろうかと申し訳なく思う。
医師曰く.....心臓弁を縫い合わせ様子を見たが、損傷が酷く機能不可能であったため、
人口弁を取り付けるため、二度の手術を受けることになった。と・・・・・・
そして翌日の朝・・・私はまだ麻酔の夢の中・・・・
主人が到着したのは朝の6時。。。。集中治療室からゴロゴロと運ばれてゆく私・・・・
どうした?何があった??医師曰く・・・内出血が酷く、緊急で今から再び手術しますと・・・
この時ばかりは・・いつも落ち着いている主人も焦りまくったと(びっくりしたよね!!)
そして・・・なんと私の意識が戻ったのは7日の午前10時.....
苦しくて、喉が渇いてたまらなかった。。。看護婦さんが通るたびに
”L'acqua,(水)・・・・・・”と叫んでいたことしか覚えていない・・・
術後は水分を口からとれないが・・あまりにも私が喉の渇きを訴えるので、
カーゼに水を含ませ口周りを濡らしてくれた。
体の痛みはそれほど感じなかったのは、痛み止めのモルヒネを点滴して
もらっているから・・・(モルヒネはアヘンに含まれるアルカロイドで麻薬のひとつ)
初めての面会に来てくれた主人はマスク、へーアーキャップ姿・・・
彼は一言・・・『Brava!!Tutto andato bene!!』
良く頑張った!すべて上手く行ったよ!!
私はこの言葉で初めて、手術が無事終了したんだと安心した・・・・・のもつかの間
これ以降・・・私は食べれない、痛いの大変苦しい術後生活を送ることになった。
これは、体験した人にしかわからない辛さだと本当に体で感じた・・・・
一難去ってまた一難・・・・いつになったら普通の生活にもどれるのか?
3月は私にとって一番辛い時期であった・・・・
つづく


