イタリアと私② |
現在21時36分・・・また雨です。。。。
さて・・・イタリアと私の第二章です(そんなかっこいいものでもありませんが)
1996年のイタリア短期留学!!今考えると凄いことをしたなーと思う
がまだ凄いのが、この時点で私は100%。。。
来年1997年にイタリアに1年住もうと心に決めていたので、
授業料6ヶ月分を前払い手続きで済ませてしまった。
こうなったら、親も反対できないだろうと思ったのですが・・・甘かった
大変だったのは日本に戻ってから・・・・
私は両親にすべてを話した。冗談ではないとわかった両親は
毎日、私を説得しようとした。私は『もう授業料支払ったきた』と言うと・・・
父はお金なんて関係ないと断固とイタリア留学を反対し続けた。
年末が近づき、私はイタリア行きの1年オープンのチケットを用意した。
勿論、両親にはすべて内緒で・・・
会社には退職届けを出し後任の後輩に引き継ぎをし始めた。
2月の寒い日に私は風邪をこじらせインフルエンザにかかってしまった。
布団で寝ていても高熱がひどく動けない状態
こんなに自分勝手なことをしているから親にも頼れなかった。
そして、彼らも、見て見ぬふりのように手助けもなかった。
熱は下がらず・・もう限界だったそんな夜・・・・
母は、私に『もしイタリアでこんなことになったら誰が貴方の面倒を見るの?』
私に返す言葉はなかった・・・
翌朝、母は無言で私を病院へ連れて行った・・・
点滴を受けているとき涙が止まらなかった。
3月で仕事を辞め・・・私は本格的に出発の用意をしだした。
出発日は、1997年の4月25日であった。チケットを手にした時・・・
夢が実現する!!私はイタリアに住むんだ!!
と興奮して眠れなかったのを覚えている。
4月・・・母は私の用意を手伝ってくれた。あれも持っていきなさい。
電話はいつかければいいの??時差は何時間??
彼女にとってイタリアと言う国はスパゲティの美味しいところ
しか知らない未知の世界であった。説明するにも、母には程遠い世界であった
そんな4月をバタバタと過ごし、4月25日を迎えた・・・
叔母と母、そして、大親友の美幸、その他数人のお友達が関西国際空港まで
見送りに来てくれるという。。。
父は最後の最後まで私のイタリア行きを沈黙の反対で押し切った。
出発の朝、私は父のところへ行き
『お父さん自分勝手な私を許してください絶対に親不孝になるようなことはしません
頑張ってイタリア語を勉強して戻ってきます』と告げた・・・
横になってテレビを見ていた父は寝たふりをして口を聞いてくれなかった。
タクシーが到着したと母が玄関で私を呼んでいる。
私はもう一度『行ってきます』と父に言った・・・・返事はなかった。
タクシーの中で涙がボロボロと流れた。自分で決めたことだけど・・・・辛かった。
関空でお茶を飲みながら、母は私に言った。
『お父さんの気持ちもわかってあげなさい。
大事に育てた一人娘が突然外国に行ってしまうのよ!!』と・・・・・
やっと止った涙がまた流れ出した。。。もう目は真っ赤なウサギ!!
出発の時間が近づいてきた・・・・お友達、一人一人に挨拶をし。。
最後に母のところへ行った。泣き虫だとはわかっていたが私はボロボロに泣いた
母は最後に『辛いと思ったらすぐに帰ってきなさい。体にだけは気をつけなさい。』
ありがとう・・お母さん!いつもお父さんと私の間に入って助けてくれた。
私はセキュリティーチェックを受け・・エレベーターを降り・・・
いざ!!出発!!これからは一人なんだ、言葉の通じない国で生活を始めるんだと
急に気持ちが引き締まりだした。。。
飛行機の席についた私・・・やっと辿り着いた夢の一歩を実感した。
あの日が12年前だなんて・・・つい最近のようにすべてが思い出される・・・・
私のイタリア留学はスタートした。。。。
イタリア人と結婚し、こちらで生活することになり・・・・
お互い・・これからも日本人と言うことに誇りを持ち、頑張って生活しようね。。
イタリアのリストランテでMIKIさんが、自分の経験を丁寧に話してくれ、そしてわたしを「認めて」くれたことが嬉しかった、あのころ。耳で聞いていたより、文字で読んでいる今、改めて、更に感化されている。
「生きる、生き抜く」ってキラキラしているね。
1997年、ちょうどわたしが心身ボロリンコになって富山に戻り、わけもわからず、導かれるまま今の劇場にやってきた。
そして、親も泣かせ、自らも泣きながら、周りに叩かれつつ、友になり、輪となり、支えられ、笑いあい。今のかけがえのない環境を築いた。
そのころ、苦労したことが全て今の自分の「とっておき」になってますね。
イタリアでも、富山でも、どんな土地でも。自分が選び、自分が立っている「今の場所」でキラキラ出来ていること、最高だね。
出会いって簡単そうで複雑・・・人と人の交流が続くのって・・・長いようで短い。。だから感じる人生の出会い・・これからも起こるであろう数々の出会いにナチュラルに飛び込んで行こうね・・・絶対出会えるから・・貴方の大切な人に・・・・
Ssatoさんのコメントでよりお邪魔しました。
この経験談、泣けます!!
うちの両親は、反対は一切しませんでしたが、同じような気持ちで居たのだと思います.
私には10歳の娘がいますが、同じ事をされたら、つらいですね.本人のためを思って見守るしかないのでしょうけれど。
自分の希望に突っ走れるのは素晴らしい事だと思っていますから。。。。失敗も多いですが.
引き続き、がんばってください.


