2009年 02月 02日
イタリアと私・・・ |
こんばんは!雨。雨。雨のフィレンツェ・・・もう3週間続いて週末雨です。。
気分ダウン・・・・・の今日月曜日です。
2月になったね。。。もう!!1ヶ月が終わっちゃったよ!!
先日・・・いつも私のプログを読んでくれているNさん(昔の会社の同僚)から
メールが来ていました。先日書いた日本からの荷物の記事を読んでいたら、
私がイタリアに留学しようとしていたあの頃が蘇りましたと・・・・
そんなメールを読んだ後。。私の頭の中にあの頃が走馬灯のように駆け巡りました。
私は大阪の心斎橋で普通のOLとして働いていたのです・・
そして1995年の秋・・私は同僚のMさんとヨーロッパ旅行に出かけました。
その頃は欧州3都市巡りと名を打ち・・・ロンドン。パリ。ローマの三都市を駆け足で
回るというツアーに乗っかり出かけたのです。
ローマに到着した私は気分もRUNRUN!!どうしてこんなに好きなんだろう?イタリアが!
なんて思いながらの旅行でした。がその帰国便の飛行機の中で
『イタリアに住みたいなー!』と呟いていたのです。あの時に今後私の人生がどんな風に
変わるかなんて誰が想像できたでしょうか??
さて!1995年からイタリアの虜になった私・・・性格的にすぐに行動に移す私・・
まずはイタリア語の勉強から・・・・すぐにイタリア語教室を探しレッスンを受講することに。
この頃・・母は『イタリア語なんか習ってどうすんの??ハハッ』と笑い飛ばしていた。
まさか娘がこんなに遠くに嫁に行くなんて母の頭の中に一かけらもなかったよね。。
どんどん・・・イタリアにはまっていた私・・・1996年の春・・・同僚Mさんと
イタリアのみを訪れる旅行を計画・・・ローマ・ミラノ・ヴェニス
この時にどうしてフィレンツェがなかったのか??今でも不思議で仕方がない・・・
私達はイタリアの1週間を満喫した。この時点で私の心は100%決まっていた。
イタリアへ行こう!住んでみよう!!30歳を目前にこんな大きな転機が私に訪れた。
1996年の夏が過ぎ・・・両親にこの話を切り出したのは暑い夏の夕暮れ時であった。
母・・・『自分の年齢を考えなさい!イタリアに行って何をする気?嫁に行きなさい!!』
父は無言でTVを見ていた・・・彼の必死の反対の態度であった。父の性格を分かって
いるから・・・余計に寂しかった・・・結論のでない親子会議・・・
両親は30歳を目前にして娘がこんな大きな事をやりだすとは・・情けないと言われた。
私は言った『貴方達に感謝はしています。でも自分の人生は自分で決めたい!』
この日を境に両親と口を聞かなくなった。でも私の意思は固まっていた。
今まで、私の人生の中で何かを自分で決めてやろうと考えたのは初めてであり、
たまたまそれが遅めに訪れただけ・・・今やらなければ一生後悔する・・・と確信していた。
それでも私の中にも不安は隠しきれなかった。会社も辞めすべてを投げ出して
渡伊する私・・・本当に大丈夫???
そんな中・・私はそうだ・・仕事を辞める前に休暇をとって10日間住んでみよう・・・
何かがわかるはず・・・ただの夢なのか?それとも何かがあるのか!!!
私はイタリア留学の本を購入し、短期留学をすることにした。
なんとそのショートスティ先に選んだのがここフィレンツェなのです。
答えは簡単!!この本に語学を学ぶならフィレンツェが一番!という記事を見たから・・・
まさかここが第二の故郷になるとは・・・

手続きを済ませ・・・11月私は10日間の一人旅に出かけた・・・
両親は・・・何も言わなかった。もう止めても無駄だと思っていたようだ。
10日間の留学滞在先はホテル・・・心地いいとは言えなかったが、毎朝
歩いて学校に行くのが楽しくて仕方なかった。ここに住もう!絶対に戻ってこよう・・・
石畳を歩きながら、そして大聖堂DUOMOを見ながら
私の意志は更に強く強く固まっていた・・・
つづく・・・・
気分ダウン・・・・・の今日月曜日です。
2月になったね。。。もう!!1ヶ月が終わっちゃったよ!!
先日・・・いつも私のプログを読んでくれているNさん(昔の会社の同僚)から
メールが来ていました。先日書いた日本からの荷物の記事を読んでいたら、
私がイタリアに留学しようとしていたあの頃が蘇りましたと・・・・
そんなメールを読んだ後。。私の頭の中にあの頃が走馬灯のように駆け巡りました。
私は大阪の心斎橋で普通のOLとして働いていたのです・・
そして1995年の秋・・私は同僚のMさんとヨーロッパ旅行に出かけました。
その頃は欧州3都市巡りと名を打ち・・・ロンドン。パリ。ローマの三都市を駆け足で
回るというツアーに乗っかり出かけたのです。
ローマに到着した私は気分もRUNRUN!!どうしてこんなに好きなんだろう?イタリアが!
なんて思いながらの旅行でした。がその帰国便の飛行機の中で
『イタリアに住みたいなー!』と呟いていたのです。あの時に今後私の人生がどんな風に
変わるかなんて誰が想像できたでしょうか??
さて!1995年からイタリアの虜になった私・・・性格的にすぐに行動に移す私・・
まずはイタリア語の勉強から・・・・すぐにイタリア語教室を探しレッスンを受講することに。
この頃・・母は『イタリア語なんか習ってどうすんの??ハハッ』と笑い飛ばしていた。
まさか娘がこんなに遠くに嫁に行くなんて母の頭の中に一かけらもなかったよね。。
どんどん・・・イタリアにはまっていた私・・・1996年の春・・・同僚Mさんと
イタリアのみを訪れる旅行を計画・・・ローマ・ミラノ・ヴェニス
この時にどうしてフィレンツェがなかったのか??今でも不思議で仕方がない・・・
私達はイタリアの1週間を満喫した。この時点で私の心は100%決まっていた。
イタリアへ行こう!住んでみよう!!30歳を目前にこんな大きな転機が私に訪れた。
1996年の夏が過ぎ・・・両親にこの話を切り出したのは暑い夏の夕暮れ時であった。
母・・・『自分の年齢を考えなさい!イタリアに行って何をする気?嫁に行きなさい!!』
父は無言でTVを見ていた・・・彼の必死の反対の態度であった。父の性格を分かって
いるから・・・余計に寂しかった・・・結論のでない親子会議・・・
両親は30歳を目前にして娘がこんな大きな事をやりだすとは・・情けないと言われた。
私は言った『貴方達に感謝はしています。でも自分の人生は自分で決めたい!』
この日を境に両親と口を聞かなくなった。でも私の意思は固まっていた。
今まで、私の人生の中で何かを自分で決めてやろうと考えたのは初めてであり、
たまたまそれが遅めに訪れただけ・・・今やらなければ一生後悔する・・・と確信していた。
それでも私の中にも不安は隠しきれなかった。会社も辞めすべてを投げ出して
渡伊する私・・・本当に大丈夫???
そんな中・・私はそうだ・・仕事を辞める前に休暇をとって10日間住んでみよう・・・
何かがわかるはず・・・ただの夢なのか?それとも何かがあるのか!!!
私はイタリア留学の本を購入し、短期留学をすることにした。
なんとそのショートスティ先に選んだのがここフィレンツェなのです。
答えは簡単!!この本に語学を学ぶならフィレンツェが一番!という記事を見たから・・・
まさかここが第二の故郷になるとは・・・

手続きを済ませ・・・11月私は10日間の一人旅に出かけた・・・
両親は・・・何も言わなかった。もう止めても無駄だと思っていたようだ。
10日間の留学滞在先はホテル・・・心地いいとは言えなかったが、毎朝
歩いて学校に行くのが楽しくて仕方なかった。ここに住もう!絶対に戻ってこよう・・・
石畳を歩きながら、そして大聖堂DUOMOを見ながら
私の意志は更に強く強く固まっていた・・・
つづく・・・・
by agliettamia
| 2009-02-02 23:11
| 私のこと---IO
|
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Comments(1)
すばらしい行動力ですね。羨ましい。。。私も、旅行に行くたびに話ができたらもっと楽しいよなぁ~って思い「帰ったら勉強しよう!」って思うけど時間と共に忘れちゃう。MIKIさんを見習って、イタリア語勉強してみようかな。。。
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